西岡奈緒子さんが、
(福)鉄道身障者福祉協会第55回リハビリテーション懸賞作品の第1位を受賞されました。

 当事業所の在宅サービス(家事支援、移動支援)をご利用の西岡奈緒子さんが、(福)鉄道身障者福祉協会第55回リハビリテーション懸賞作品の第1位を受賞されました。

 

 ご自身の生活・生き方をテーマにされた内容で、文章のうまさも然ることながら、当事者・支援者がそれぞれの立場で感じることがある内容と思います。

 

 このような思いで過ごされている方がいることを多くの皆様に知って頂くことも我々の役割と考え、ご本人・関係者の許可を得て、ホームページに掲載させて頂きます。

 

 事業所としては、ご本人を中心としたサービスの向上に繋げていけるよう、これからも努力を続けていきたいと思います。

 

 

 以下、西岡さんの受賞作品です。

誰かの役に立てたら

 

西岡 奈緒子

 

 私は夫と二人の世帯だ。しかし二人きりで生活しているわけではない。平日は夫の出勤後、朝八時にヘルパーが来て、家事や通勤支度を手伝ってもらう。夕方に私が家に戻ると、ヘルパーが玄関の前で待機している。家の鍵を開けたり、靴を脱いだりするサポートをしてもらう。また、自宅にマッサージ師の先生が来て、ストレッチやマッサージを行ってもらう。家には多くの他人が出入りしているが、他人と言い切れる関係ではない。

 私は子供の頃から筋ジストロフィーという病気で、年を重ねるごとに筋力が低下してきた。今は電動車椅子を使いながらフルタイムで会社に勤めている。入社した十数年前には、杖を使って歩くことができていたが、障がいの重度化にあわせて、電動車椅子を使うようになった。会社では総務や人事に相談しながら、環境整備を進めてもらい、仕事に集中できている。

 八年前、結婚したのを機にヘルパーを利用し始めた。週に二時間、家事を依頼することから始めたが、病気の進行にあわせて利用時間や利用内容を徐々に増やして、生活を維持してきた。病気の進行を少しでも遅らせたいため、リハビリをすることも欠かせない。最初は誰かの手を借りるということに抵抗感があった。有資格者とはいえ、他人が家に来るのには気を遣ってしまう。疲れやすく、「頑張る」と「無理する」のラインが難しいのが私の病気の特徴の一つだが、負けず嫌いの私は、つい頑張りすぎてしまうことが多い。しかし、無理して体調を崩すよりは、できることを少しでも継続するために、人の手を借りていこうと考えるようになった。今では他人が自宅に出入りすることが当たり前の生活となっている。抵抗感は完全には消えていないけれど、人の手を借りながら生活することに慣れてきたとは思う。

 我が家に来るヘルパーの年齢は三十代から七十代だ。ヘルパーの仕事を始めたばかりの人から、ベテランの人まで様々な人がいる。私は自分で動けない分、依頼内容を言葉で伝える必要があるが、なかなかうまく伝わらず、もどかしく感じることもある。支えてもらう立場で偉そうなことは言えないが、私が支援を受ける時に望んでいるのは、一方通行の介護にならないように、ということだ。介護というと、「支える側」と「支えられる側」という二つの立場になってしまいがちだ。「支える側」が、やってあげているという想いが強いと、「支えられる側」は負い目を感じやすくなる。「何かしましょうか」と聞かれるよりも、間を取って、こちらが言葉を発するのを待ってくれることが嬉しい時もある。

 私は、「支えられる側」であると同時に、「支える側」でもありたいと思う。たとえば、仕事に来たヘルパーに「今日は笑顔がみられてよかった」と感じてもらえるようにすることが、私にできる「支える」ことかもしれない。いつも私の機嫌がよいとは限らないため、そんなにうまくいかないこともあるけれど、何か少しでも、私にできることがあれば行いたい。

 一般的な企業であれば、とっくに定年を迎えている年齢の六十代、七十代のヘルパーも我が家には欠かせない存在だ。時には、(高齢の人に限らないけれど)家電の使い方がわからず、私が説明に時間を割く、ということもある。すべてが完璧という人はいない。どこかで誰かの支えが必要だ。支える側と支えられる側は隣り合わせの立場で、いつ誰がどちらにいくか、わからない。そのため、自分はこちら側、支えるだけ、支えてもらうだけ、と決めることはできない。みんなで支え合う「明日の福祉」では、お互いに得意なことをいかしながら、みんなが活躍できる社会にしていく必要がある。

 通常は、高齢になって初めて介護を受けるようになる。いざ、「できないことがあるから誰かの支えが必要」という状態になった時に、家族以外に介護を頼むのには抵抗を感じる人が多いと予想される。夫婦間の老々介護、家族間介護によって、疲れがたまり、生活に支障をきたしてしまうケースがあると聞く。それぞれの家族の事情はあるものの、高齢化が加速する日本において、みんなで支え合うということは必然になってくる。

 誰かの役に立ちたいという気持ちは、誰でも少なからず持っている。私は、二十歳過ぎまで、同じ病気の人と出逢うことがなく、孤独に感じていた。こんな病気を抱えながら、誰かの役に立つことができるだろうかと考えていた。インターネットを通じて、同じように孤独に感じている人がいると知り、少しずつでも誰かの役に立てたら、とブログを書くようになった。共感を得たり、相談を受けたりすることで、少しは誰かの役に立てていると感じられるようになった。「支えられる側」から、「支える側」になることもできるかもしれないと感じることができた。

 私が同じ病気の女性と初めて直接会ったのは二〇〇八年のことだ。お互い最初は緊張していたが、話し始めたら意気投合した。不安、孤独、誰かの支えがないと生きられないという大変さなど、話は尽きない。私たちは他の患者とも繋がりたいと思って、筋疾患を抱える女性のための患者会を立ち上げた。患者会を立ち上げたのは私と友人の二人だが、多くの人に出逢うことにより、どんなに重症な人であっても、「誰かの役に立ちたい」という想いを持っていることを知った。患者会の会員同士は、インターネット上の会員専用の掲示板を用いて交流する。ここにくれば誰かがいる、という孤独からの解放が、患者会の一番の存在意義だ。「あなたはひとりではありません」ということをいつも伝えたいと考えている。この言葉は、患者だけではなく、いま孤独に感じているすべての人に伝えたい。

 身体が動きにくい、孤独だ、不安だ。困ったことは声に出さないと正確に伝わらない。しかし、声にするには勇気が要る。とてつもないパワーが必要な時もある。一人ひとりが、誰か困っている人を支えようという気持ちを持っていれば、少しではあっても、困った人の勇気の支えになると思う。みんなが暮らしやすい、心ゆたかな社会の実現ができるように、私も誰かの役に立てたら、と思う。

 

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社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会

第55回リハビリテーション懸賞作品

http://www.tessinkyo.jp/kensho3.html